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大和心

第1048回 本田霊学の鎮魂法と帰神術について-105

著者:小山一夫 / 公開日:2025-10-30

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『まず鎮魂石について。実修に鎮魂石を用いること自体は本田以来の伝統であるが、佐藤は鎮魂法として、あらかじめ他人から「天宇受売大神の御霊を鎮祭してもらった生石」に「『吾が霊魂が鎮魂石に鎮まる』という強い思念を四、五回送る」ことを説いている。

こういう説明は、少なくとも公刊された範囲での本田の遺文やほかの人物の所説には見ることはできない。すなわち、ここでいう鎮魂には、(1)あらかじめ神霊の分魂を憑依集中させた石に、(2)自分の分魂を憑依集中させるという、いわば二段階の行事が含まれているが、佐藤はもっぱらその後半部のみをさして「鎮魂」と称して、前半部は特に問題にしていないのである。誰の段階でこうなったのかは特定できないけれども、これがおそらく本田説の誤読から出た説明であることは次のような点から指摘できる。』(「鎮魂行法論」津城寛文著)

津城氏は「本田説の誤読」というが、誤読しているのは津城氏の方だ。

まず「強い思念を四、五回送る」が鎮魂法ではない。それは単なる方向付けしているだけで、佐藤先生も「この思念して居る間には石に“吾霊”は鎮まっていない」と書かれている。津城氏はろくに先生の本を読んでいないのだろう。「誤読」ではなく津城氏の「未読」というべきか。本田翁の書かれている内容の読み方も、斜め読みとしか思えないほど理解度が低い。

上記の2段階、『(1)あらかじめ神霊の分魂を憑依集中させた石に、(2)自分の分魂を憑依集中させる』だが、『佐藤はもっぱらその後半部のみをさして「鎮魂」と称して、前半部は特に問題にしていない』のは当たり前だ。