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大和心

第1054回 本田霊学の鎮魂法と帰神術について-109

著者:小山一夫 / 公開日:2025-11-05

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『一方「異」としては、すでに述べた鎮魂石の扱いのほかに、鎮魂を「霊肉分離」の境地と説明する点が注目される。これは、きわめて曖昧には「無我」「深い統一状態」とも表現されるが、宗教的身体感覚のレベルでは脱魂感を指すものと解釈できるであろう(47)。しかし、本田説、およびそれをある意味で整合的に祖述解釈した友清歓真によれば、鎮魂とは一つには自己の遊離魂を身体に再び「集中鎮定すること」であり、その場合霊肉は分離するどころか、「その間には他の霊の憑依し来たるべき一髪の隙もあるべきものではない」ほど鞏固に結合しているのである(48)。また鎮魂石に自己の霊魂を集中させる場合でも、これはたしかに段階として一種の脱魂感を経ざるをえないが、しかしそれは「霊肉分離」と表現されるような全面的脱魂とは異なった部分的脱魂であり、むしろ前節末尾で言及したような能動的方向性、「内から外へ」という霊魂運動の方向性と相関関係にある、宗教的身体境界の固体化、つまり霊肉の結合へ向かうと考えられていた実践なのである。

本田、長沢の正統とされる佐藤にしても、基本的な面で本田との間にこのような齟齬を生じていることを指摘して、いよいよ次節からは、本章の表題でもある名高い大本教団の、おもだった人物たちの鎮魂帰神説の検討に入る。』(「鎮魂行法論」津城寛文著)

何でも「脱魂」に結び付けたがる津城氏だが、友清氏を持ち出しても整理がつかなかったようだ。友清氏も本田霊学の鎮魂法をやっていないのだから辻褄が合わないのは当然だが、だからと言って『本田、長沢の正統とされる佐藤にしても、基本的な面で本田との間にこのような齟齬を生じていることを指摘』するとは酷い話だ。言うまでもなく「齟齬」など何もない。単に津城氏が鎮魂法について理解できなかったという事。