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大和心

第1073回 本田霊学の鎮魂法と帰神術について-122

著者:小山一夫 / 公開日:2025-11-24

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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仏教が日本に伝えられたのは、6世紀の欽明天皇(539?-571?)の御代とされている。朝鮮半島はと言えば、公式には高句麗に372年、百済に384年だという。さらに中国についていえば、歴史書の「三国志」によると、仏教の初伝は紀元前後の漢の時代だという。

『漢書』(「地理志」)によれば、日本は紀元前1世紀頃に既に朝鮮半島にある漢帝国の直轄地・楽浪郡に、定期的に使節を派遣し交流があったという。『後漢書』(「東夷伝」)にも倭についての記載がある。57年には奴国の使者が洛陽にて後漢の初代皇帝・光武帝より印綬を授けられている。107年にも倭国より160人の奴隷を皇帝に献上。『三国志』(「魏志倭人伝」)には、邪馬台国から魏(220-265)への朝貢の様子が詳しく書かれている。5世紀になると、倭の五王の遣使が行われ、『宋書』(倭国伝)に倭からの朝貢の記録がある。

このように日本と中国の交流関係は、紀元前に遡る。それは必ずしも朝鮮半島の国々を介する間接的なものでだけはなかった。中国は日本にとって経済、政治、文化等々あらゆる面で先進国であり、学びの対象であったことに疑いない。朝貢については、陸路にしても海路にしても容易なものではなく、相当な費用が掛かる国家的プロジェクトであったはずだ。ならば、単に貢物を渡すだけの交流ではなく、様々な分野の知識を吸収しようとしたのではないだろうか。

だとすれば、文字にしても、宗教にしても、多くを学んだことだろう。古代日本に道教の痕跡を見出すのはとても容易な作業だ。日本の地にあれだけ深く道教が根付けたのは、古代の神道との相性が良かったこともあるだろう。だが、それについては別に整理するつもりなので、ここでは書かない。