本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『第三章 帰神の標目
道之大原(解説一一五頁)に「人心なるは大精神の分派なり。故に生無く死なく、之を制御する所と為す。今時太陽大地大陰及び人魂を以て各位の守神と為す。悉く皆な神府を無(なみ)するの説、信従すべからず」。とあるが如く、吾々の霊魂(小精神)は大精神、即ち宇宙主宰の大霊の一分派である事を了得出来得ることであろう。故に小精神である吾が霊魂を以て、宇宙の大精神に感合することを求める「神術(かみわざ)」を修業すれば、必ず此処に憑霊作用の現象を生ずる事は当然な事である。
秘書に記載せる「帰神の標目」は左の如くである。
正神界俗に善神界と云う
無形神懸は憑霊現象の形に現われず、甚だしい場合には、自己も之を知らない(気がつかない)ことがある。
一に幽の神懸と云う
有形神懸は普(あまね)く行う者であって形式があり、憑霊現象は外形に現はれて、一見して憑霊と知られる者を謂う。一に顕の神懸と云う
有無合十八法
邪神界 前に同じく十八法
邪神界は妖魅界に同じ。巫或は法華僧の行うのは此等の外、下等である。
正邪合わせて三拾六法
之を分て三百六十二法とする。
右の標目中,自感法とあるのは、自己の鎮魂力を以て之を得たるを云い、他感法とは、師に就き指導を受け之を得たるを云い、神感法とは、偶然に神界の御意志により憑依して侘宣するを云うのである。』(「顕神本田霊学法典」)