本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『⑼ 本田翁は神術御修業の為、諸国の各神社霊場等に足を止められたが、中々に気に入られる神懸りの出来る社等は尠(すく)なかった由である。静岡県志太郡岡部町の神(みわ)(三輪)神社に於いて帰神を執行された時、初めて真の帰神を得て、「今日は真に気持よき神懸りをなした」と仰せられて喜ばれたと云う。此の故に神(みわ)の大神を敬い、其の御神徳を慕って三輸家に止まり、御修業と教導とに尽力された。此の神社の御祭神は、大物主神を奉祀されている。
三輪家に御滞在は約一年半と推測されるが、当時翁の残された揮毫書類は数多あられた由である。現今は殆んど散供して残存の品は少ない。筆者の知る歌などの作は左の如きものである。
みわの山神の社のみ栄の、時いたれりと知るや里の子。
古の真の道を憑坐せる、神の御言に覚れ三輪の子。
万世も変らさらむは大美和の、神の心と杉木なるらし。
万世も如此しも有連や今日建し、駿河の美和の神の御室は。
たまたまにわかれとなれば物いはぬ、家にむきてもかなしかりけり。
おのずから神の心のあらはれて、三輪のうぶこは千代もへぬべし。
大神の栄子の御名は神ながら、栄ゆる君かしるしなるらむ。
三輪村の高草山は大神の、宝の山ぞのぼりたて人。
大物主神の御裔の大神の、朝臣の家は万代もがも。
東路の三輪山見れば雲谷も、今日はかかさずつきたてるみゆ。
なお、けやきの如き板額あり。横に大字で「真神」と書き、左横に小字にて「心神旡形而養在形是真神也」と揮毫されている。此の額は現在も三輪家に掲げられてある。
三輪家の御住宅内に奉斎された神床がある。中央に大物主神、右側に天照大御神を鎮祭し、左側に本田翁の御霊を祀られている。翁の神名は事玉彦命と申され、御生前修業なされる折でも肌身離さず大切に所持されて居ったと云う、挙大の“岩”一個が御霊代となっている。此の岩は中央がくばんでいて「恰も掌(てのひら)の如き形であると謂はれている。
翁は遺言で「吾死すれば霊は此の石に来たるべし、故に大切に祭るよう」との仰せであったと聞き伝えられている。』(「顕神本田霊学法典」)