本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『⑽ 長沢翁の審神者中で最も大きな収穫と云われる神懸りは、明治二十七年宮城島金作氏に、八千彦命が憑られての日清戦争の予言と、明治三十四年上田喜三郎氏に、小松林命が憑られて日露戦争の詳細なる予言であったという。次に述べる事もこれにつぐ神懸りの一つとして、現在に於ても其の話が語り伝えられている。それは明治二十八年頃、宮城島氏に猿田彦大神が御懸りあり「御穂神社千年来の積りし穢れあり、今日はそれを祓い浄むベし」と仰られ社務所より拝殿に向って舞うが如く飛び行き、何所よりか祓串を手にされて、神殿社務所等を御修祓なされた。此の時、神殿社務所を往復されるに宛ら宙を馳せる如くで、その一足ごとの足幅は約九尺に一歩づつであったという。なお其の時の祓串は針葉樹の如くであり、一見松に似るも未だ見た事のない植物であり、その本は根つきのままで土が附いて居ったとの事である。なお又、その木につけてある“紙垂(しで)”の形は誰にても切る事能はざる程の寸法で正確整然として居り、此の切り方は如何なる鋭利な刃物で行っても人間では到底切れ難いほど巧みな裁断であったという。翌朝この祓串を羽衣の松の海岸へ納めた処、海中に投入れると直ちに消えるが如く見られなくなったので、同行の人々は其の神威の程に驚愕したと謂はれている。』(「顕神本田霊学法典」)