本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『(14) 帰神は宇宙統御の大霊に感合する為の神法であるが、其を執行する場合に於いて、特殊な例を除いては大霊(大神)が懸られる事は無いことを屢々述べてある。我々顕界から各種万般に渉っての用件解決の御神誥を願うとしても、細事に就いては此の大霊が直接に御教示下さった例は未だ聞いて居ない。幽冥界に於いては総ゆる部門部所に、其の方面に精通した神々が其の任務を分掌されて居る。この分掌の神は、それぞれ部属の神を以て其の事務を掌らせて居られる。人に憑依される神は、此の部属の神とか、その御眷属の霊が多いものである。それ故、帰神執行の際に、例えば海辺の事を分掌されて居る霊が懸られたとき、この霊に山間の要件を御尋ねすると「吾は知らぬ」と申され、更に「他の分掌(分担)の霊と替わる」と申され直ちに体を切って御帰りになる。と瞬間に再度体を切って、其の部所に詳しい霊と入れ替った、他霊が御懸りになることがある。此の如く、幽冥界に於いては、分掌部属の組織が歴然として存在する事は、神懸りを執行する上に於いて、判然と認められる処である。なお、分掌の異なる霊が「吾は知らぬ」と仰せられても、必しも其の方面の知識が全く無いものではなくて、ただ詳細な事柄を存ぜられぬ為に、他の部属の霊と替られるものである。斯』(「顕神本田霊学法典」)の有様は、儼悟整然たる神界の組織の一端を窺い知る事が出来るものではないかと惟う。』(「顕神本田霊学法典」)