本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『1.産土神徳講義の鎮魂法について
『シツカリト気海丹田卜云フ腹ノ底二心ヲ据ヘテ、閉目洪手卜云テ眼ヲ閉ヂ手フ胸二当テ、心ヲ公平無私卜云ヒ、生レナガラノ本心二立帰リテ能ク考ヘラルルト、コノ霊魂トイフ魂モ即チ此ノ産土神ノ御支配ナサルモノ故二、其ノ心ノ鏡フ忽チニ産土神ノ磨キニ磨キ給ヒテ、真澄ノ鏡卜云フ様二明カニ照り輝イテ、カネテ見ヘザル我霊魂モ手ノ裏カヘス様ニ見工透ク也。夫ヨリシテ益々其産土神ヲ尊崇シ、其魂フ琢磨シテ見ルト、今迄ノ曇天風雨ノ空トハ雲泥ノ相違ニシテ晴天白日トナリ、其ノ快ク楽シキヨト馨ヘン方ナシ。』(「産土神徳講義」上巻)
これを現代語訳すると、
『しっかりと『気海丹田』と言われる腹の底に心を据えて、『閉目拱手(へいもくこうしゅ)』という[ように、]目を閉じて手を胸に当てて、心を『公平無私』という[ように]、生まれながらの本心に立ち帰って、よくお考えになられると、この霊魂という魂も、つまりはこの産土神が支配されるものであるが故に、その心の鏡をたちまちに産土神が磨きに磨きなさって、『真澄の鏡』[=立派な鏡、また、よく澄んだ鏡。鏡をほめていう語。]のように明るく照り輝いて、これまで見えなかった自分の霊魂も手の裏を返すように[目に]見え、澄み渡る[ようになる]のである。それによってますますその産土神を尊崇し、その魂を磨き上げて見ると、いままでの曇天風雨の空[のような気分]とは雲泥の違いであって青天白日[のような気分]となり、その快く楽しいことはたとえようもない。』(西原壮聡氏・現代語訳)