神道と日本の記事一覧

大和心

第1210回 本田霊学の鎮魂法と帰神術について-217

著者:小山一夫 / 公開日:2026-04-06

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

************************

出口氏が長沢翁に出会う前後の状況を大本の資料から見てみたい。

『喜三郎は深夜家を出て、産土神社に参詣して祈願をこめ、高熊山の洞穴でしばらく感合法の練習をし、園部の天満宮で神霊感合の状態にはいった。(中略)今回の出修で、はじめて帰神術の大略を体得したので、さらに幽斎の修業をすることにし、斎藤仲一宅で第一回の幽斎研究会を開いた。(中略)

喜三郎は審神者(神感を審判し神の正邪を見分ける者、沙庭とも書く)となって、神主(幽斎修業者)を指導し、幽斎の法を伝授した。審神者と神主は、まず水行をして心身を清め、白衣・袴をつけ、荒菰の上に向かい合って着席する。神主は両掌を胸のあたりで組み合わせ、瞑目すると、審神者は天然笛を吹いて神人感合に入るように指導する。これが幽斎の法である。

おおかたの者は三週間か四週間の修業で感合するようになるが、とかく邪神界と感合する者が多いとされる。(中略)

毎回三〇分ずつ一日八回修業であったが、身体を動揺したり、手を急激に上下にふるわし、口を切って騒ぎまわる者もできたが、喜三郎は一々審神し、その正邪をみわけた。』(大本七十年史編纂会)

『余はいよいよ決心して幽斎研究会を開始したが、第一着に感合して口を切ったのは、多田琴、二十三歳の婦人であった。

憑かりたる霊は「白滝明神」と告げたが、これは全く偽りであった。妖魅界の邪霊なのである。総て神主なるものは、初めて口を切る時には、十中八、九まで妖魅が憑かるものであるが、その妖魅を縛りたり、退けたり、論じたりするのが、審神者なる役目の必要とするところであるから、審神者たるものは、実に胆力と智識と経験とが最も必要なのである。』(「出口王仁三郎著作集」第一巻「神と人間」)