本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『多田が帰神を修得して正当の神主になるまでには、幾多の記すべきものあり。ほとんど数うるに暇なき程にて、また審神者の苦辛したる事実は、筆紙の尽くし得うべきにあらず。
次に、修行者・石田小末が口を切り、斎藤たか、十三歳の女が口を切り、順次に修行者の口が切れて来たが、始めの程は妖魅ばかりで、審神者を非常に困らせた次第は、順を追いて記載するの考えである。
さて八人の神主は、各々口を切ったが、みな非常に大恐悦で、生神にでもなり澄ましたように思うて慢心をし出した所へ、邪神等は「得たり畏かしこし」と神主の霊を襲うて、種々の狂態を演じさせて余が目的を破壊せんと、百方妨害を為なすのである。邪神は邪神を誘い来たりて、余が名誉を毀損せんと試むるのである。』(出口王仁三郎著作集第1巻第10章)
これでは幽斎を行う意義はないだろう。正神界との合一からかけ離れているからだ。このようなレベルの人達から審神者代行をどうやって選べるというのだろうか。
しかしながら出口氏は、その中の一人に指導を任せて静岡へ旅立つことになる。