本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『余は、総理の審神者で、有形の神感法を修行したのである。しかしただの三日の逗留であったから、充分に修行する事も出来ないのは遺憾であった。』(出口王仁三郎著作集第1巻第11章)
総理とは長沢翁のこと。3日間の逗留では何度か帰神術の稽古(出口氏は有形の神感法と言っているが)をするのがやっとであろう。
『帰りに臨んで、総理より大神の御分霊一体を幽斎修行発達の守護として下付せられたので、直ちに帰国の上、祭壇を設けて鎮祭し奉った。また数多の守札や「神拝詞」なぞ下付があった。二個の大革箱が充満したので、途中は互いに荷を持ち合いして帰国したのである。』(出口王仁三郎著作集第1巻第11章)
守護霊のようなものを付与することはあり得ないので、恐らくは祭祀用に御札のようなものを授けられたのではないだろうか。正式な御霊璽は佐藤翁でも鎮斎に10日くらい必要とされていたので、それから考えると御霊璽レベルではなかったように思う。
『余も修行者も、日夜帰神法を練習しつつあったが、余はついに総理の霊が感合し出したので、今度は斎藤を従えて、再び総本部へ参閣したのである。「余に感合せし霊魂は、果たして師の霊なりや、あるいは偽神なりや」を確かめんために、』(出口王仁三郎著作集第1巻第11章)
とあるが、長沢翁とはいえ、その生霊が憑霊することはないので、情けない話だが、出口氏のレベルがどの程度だったかが窺えよう。