本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『総理閣下より鎮魂の玉、御母堂より天の岩笛を拝領したが、綾部へ来るまで、師の霊として大切に肌身はなさず守って居たが、ついに中村竹蔵にわが心を籠めて授与したのである。その大切なる品を下付した余の心を無にして、稲荷講社から出たものだからと云うて、迷信の余り、明治三十五年の旧十一月頃に、園部まで突き返すと云うて、園部で紛失させてしまった。』(出口王仁三郎著作集第1巻第11章)
二回目の静岡訪問で鎮魂石を授けられたのは、当時でも特筆に値する。しかしながらその鎮魂石を他人に渡してしまうとは、とんでもない話だ。鎮魂石は佐藤翁でも1週間をかけて鎮祭されていた。先生曰く、鎮魂石は個別に鎮祭するとのこと。霊統や祖霊との関係等、授けられる人により異なるため、個人別にカスタマイズしなければならない。このように審神者が時間と労力をかけて丁寧に鎮斎した鎮魂石の意味と価値を知らずに、他人に渡し、挙句の果てに紛失するとは、神界に対する重大なる不敬だと言えよう。