本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『駿河より余等二人、帰村してみると、斎藤の家の内外は人の山を築いて居て、中には多田琴、斎藤しづ、同たか、岩森とくの四人に、妖魅なり野や狐や野天狗が懸って踊り回りて居る。
門口には斎藤元市氏が、必死になって数多の見物人の侵入を制して居る最中である。家の内外は、狂乱と罵詈とに充たされて居て、取りつく島が無いのであるが、元市氏は、先ず二人の帰国を喜んで、「とも角、話は後で委しうするが、四人の神主を鎮撫してもらいたい」というので、直ちに審神者をしてみると、多田琴に強き妖魅が懸かっているなり。しづに常富大明神なぞ偽名して野狐の霊が懸かり、たかと、とくにも野狐が憑り付きして居る事を自白したので、家の内外の者ども異口同音に、「上田は狐づかいだ。その証拠には、狐の親玉が帰ったので、眷属がみな逃げてしまった」なぞと詈しり出して、それから後は、余を「稲荷下げだ、稲荷さんだ」なぞと噂し出して、ついに余を呼ぶに、「稲荷さん」を以てする様になったのは、返す返すも遺憾の至りである。』
『せっかく丹誠を凝らして、大方仕上げた神主の多田琴が、全然本に返って狂態を演じたのは、余が布教上の大妨害となったのである。』(出口王仁三郎著作集第1巻第11章)
静岡から帰宅した出口氏は、自らの失策を悔いるわけだが、これらは出口氏が正当な審神者でなかったことに起因する。見よう見まねで幽斎を行う事の危険さを自覚したにも関わらず、そのまま継続して、教団で同じようなことを繰り返している。