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大和心

第1227回 本田霊学の鎮魂法と帰神術について-230

著者:小山一夫 / 公開日:2026-04-23

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『想ひまぐらせば大正五年の春、不図した動機から同志を集めて(判読できず)西洋式に言ったら、所謂家庭交霊会を催すことになったのですが、いよいよ行ってみると、他の人達は、上手下手は別として、兎も角或る程度の霊媒能力を発揮するのであるが、私ばかりは、人一倍の努力を佛っても、なかなかものにならず、通常意識が茫然自若として頑張っている。私はいつもしれッとして、他人に起こる諸現象を客観的に見物する外にない。その必然の結果として、私はいつしか他人の世話役、むづかしく言ったら、所謂審神者の役目を引き受けることに了ったのであります。この傾向は、私の綾部滞在数年の間に、一層顕著になりました。』(「心霊学より日本神道を観る」浅野和三郎著)

そして、『毎日幾十、幾百と押しかける連中は、当時大本教の売物にしていた鎮魂帰神の実修をきまって強要する。仕方がないから、私が采配を振るってその指導に当たる』(同書)ことになる。

彼は大本での指導を『人間でありさえすれば、老若男女を問はず、片っ端からこれに鎮魂帰神の実修を施すというような、無茶苦茶なこと」を行ったと述べているが、実に危険極まりない。

他感法の神主として全く才能がないから、それでは審神者に、という経緯だったと浅野氏自身が書いているが、そのような経緯を知らないで浅野氏の指導を受けた信徒達は、心から彼を信頼していたはずだ。