本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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「七年八年となると、イヤ實驗材料が集まる集まる、一日平均二三百人にも上るのですから、私に取りては、誠に以て有難い仕合せで、腕によりをかけて、片ツ端から神懸りの實驗を試みました」
大本での鎮魂帰神法は彼の人体実験の場だったのだ。これでは出口氏が中止させたのも当然だと思う。霊的な浄化や向上を求めて集まった多くの信徒達を、単なる実験材料として扱っていたわけなのだから。
「實はある一二の形式をのぞけば、單なる一の精神統一法に過ぎないので、催眠術と云つたところが、座禪と稱したところが、觀法と呼んだところが、その根本の趣旨──卽ち人間の靈肉一致の常態を打破し、心靈作用の發動を講ずる點に於ては、何等相違點はないのであります。」
浅野氏は大本の鎮魂帰神法を、「單なる一の精神統一法」であり、「催眠術」に相違ないという。神人合一とは看板だけで、実態は始めから催眠術の一種として行っていたわけだ。つまり大本は、浅野氏にいい様に利用されただけだったと言っていい。