あの人が宗敎家として一番の缺點は、餘りに肉的分子が強烈なことであります。嫌ひなのは、不思議にたゞ酒ばかり、莨が好き、茶が好き、肉が好き、芝居が好き、義太夫が好き、茶番が好き、就中女が好き、これで神様を職業にしようといふのですから、骨の折れる筈で、その苦心はお察し申す次第であります。これではいかにゴマカシの名人でも、最後にボロを出して、尻尾をつかまへられて、ギユーギユー油を搾られる譯であります。それにしても、道樂を行るのには、一番都合の惡い職業を、選りに選つて苦しまねばならぬといふのは、運命の神も、何といふ皮肉な眞似をなさるものでせう!
「私のする事は、皆神様の御命令でナ……。」
斯んなことを言つて、女でも口説き落すのには、一寸便利な點があるかも知れませんが、そんなことは、結局後始末が厄介であります。日本の飯野某、ロシアのラスプーチン、みんなその手で成功して、その手で破綻して居ります。王仁さんなども、その轍を踏まねばよいがと危まれてなりませぬ。
才物は才の爲めに躓くと申しますが、王仁氏などにも、たしかに其趣が見えます。何事に對しても持久性がとぼしく、年がら年中猫の眼のやうに、クルクル方針をかへて行きます。』(「心霊学より日本神道を観る」浅野和三郎著)
浅野氏や友清氏等は、出口氏と大本教について全否定するかの如く批判しているが、一度でも師と仰いだ出口氏に対して実に非礼なことだと思う。出口氏の多方面にわたる才能については称賛するものの人格面で非難しては、宗教家としての資質を否定することになろう。