本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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大正10年の第一次大本事件後に教団を離れた浅野氏は、12年に「心霊科学研究会」を創設する。もともと英米文学翻訳から心霊研究に興味を持った彼にとって、それは自然な流れだったのだろう。
昭和2年(1927)日本で金融恐慌が起こり、昭和4年にはニューヨーク株式が暴落し世界恐慌が始まる。日本はもとより欧米も政治経済両面で大きな混乱へ突入する。浅野氏が欧州を歴訪したのは、そんな混乱の中(1928)だった。(第一次世界大戦は1914-1918年)
渡欧後、まずロンドンで開かれた国際スピリチュアリスト会議にて「近代日本における神霊主義」をテーマに英語で講演。またロンドンにおいて霊媒師を訪ね、降霊会に参加する。そしてパリ、ボストン等において多くの心霊関連の資料を入手して帰国する。悲惨な戦争を経た激動の時代、高まる社会不安から世界各地で心霊的なムーブメントが盛んになっていた状況下、浅野氏にとって参考になることが多かったことだろう。
このようなかつてない神秘主義の熱狂的背景のもと、浅野氏は様々な情報を得ることができた。彼の旅行記は昭和13年に「欧米心霊行脚録」として世に出ている。