本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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ただ出口氏は随筆『神霊界』大正8年8月15日号で次のように述べている。
『大本に教祖の手と口を通じて、現一万冊の神諭も、詮じ約つむれば世界改造の四文字に帰着するのであるが、静岡の○○先生は経綸改造を主唱する大本の神諭を、荒唐無稽だと評された相であるが、王仁は○○先生に会見して、神霊学研究をした事があり、本年で前後廿二年の間交通して居るなれど、未だ一回も王仁の口から、大本の神諭や神策や改造にかんする談話を試みた事はない。到底先生の頭脳に、守護神の因縁上、納まらない事を看破したからである。』
この〇〇先生というのは明らかに長沢翁のことだが、大正8年と言えば政府が軍部から財界、右翼思想家等まで広く影響力を持つ大本に強い危機感を抱いていた頃である。つまり大本への弾圧が長沢翁まで及ぶことを危惧して、上記の様に述べたのかもしれない。なぜなら出口氏にとって翁は「残されたる唯一の恩師長沢先生を親よりも大切に思つて居」たのだから。
筆者はこの辺りに出口氏のあたたかな人柄と誠意を感じる。氏が多くの人々から慕われ、信用を得ていたのもわかる気がする。