宣伝歌(※注3)を奉唱(あるいは八雲琴が奏じられる)なか、修業者は鎮魂の姿勢をとり、四散している自分の霊魂を臍下丹田にしずめる(「大道場修行」(※注2)で講話をはじめる前に行われる)。先達者が「神文(しんもん)」(『霊界物語』第五十四巻 付録)を唱読し、修業者は鎮魂の姿勢をとり、四散している自分の霊魂を臍下丹田にしずめる。単に瞑目静座して行う。
こうした鎮魂法は決して特別なものではありません。日常生活において心がけしだいで誰でもできるものです。注意すべきことは、この鎮魂法は、霊的現象を体験するためでも、奇跡的な霊験を求めるものでもありません。雑念にわずらわされていたり、散漫になっていたりする精神を鎮めて臍下丹田に自身の精神、魂を集中し、集中力を高めるための具体的方法の一つです。
何かをはじめる前に、「鎮魂」で精神を鎮めてから取り掛かることで集中力が高まり、より高い効果を生み出すことができます。
「鎮魂」は一人ひとりが神さまから与えられている神性を開発し、心魂を鍛えるためにも有効な方法です。』(大本東海教区ホームページ)
この「四散している自分の霊魂を臍下丹田にしずめる」というのは、霊魂を運転活用する上で必要な要素の一つだ。渡辺勝義氏は、霊魂は最初から身体の中府に安定している、と書いているが、これは明らかな間違い。彼が自身の体験からそう言っているとすれば、鎮魂法ができていないのか、或いは世にも稀な特別な人ということになる。(後者の可能性はないと思うが)