本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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しかしながら、転霊を受けていないのになぜ長沢翁は「友清氏は妖魅界の神憑りなので信用できない」と断定したのだろうか。正神界の神憑りであれば、転霊後に体を切り口を切ることになるが、妖魅界の低級霊になると、祓いだけで体を切ったり、体を切らずに口を切ることが少なくない。
審神者の祓いの最中にそのような状況になるのは、神主自らが妖魅界と緊密な関係にあり、それ以上祓われないように意図して体を切ったりするわけだ。そうなれば審神者は一旦祓いを中断するので、妖魅霊は神主から離れてゆくことができる。よほど神主に被害がある場合を除いて、審神者は霊縛をかけないので、その場を離脱するには、おとなしく祓いを受け続けるよりも体を切ったりする方が妖魅霊にとっても楽なのだろう。
友清氏は『一念こめて我が霊魂の其の玉に集中せんことを凝念すること凡そ二十分かくて毎日数回を重ぬるを妨げない』と述べているが、「吾が霊魂鎮魂石に鎮まる」と思念するのは通常3回ほど。あとは鎮魂石とのムスビを保ちながら、意識を判然とさせたまま、無心になる。つまり友清氏の言うように凝念し続けたら、いつまでも霊魂の運転活用は出来ず、鎮魂にはならないということだ。この点でも彼が鎮魂法を実修していたとはとても思えない。