本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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G 日本書紀巻第一(神代上)
又猿女君の遠祖天鈿女命は即ち手に芽纏の矟を持ち、天石窟戸の前に立たして、巧に俳優す。亦天香山の真坂樹を以て鬘と為し、蘿を以て手すきに為して、火処燒き、覆槽置せ、顕神明之憑談す。(顯神明之憑談。此には歌牟鵝可梨と云ふ)
これは天鈿女命の「神による覆槽置(受霊)と顕神明之憑(帰神)」。
天津神である天鈿女命が如何なる神を受霊し、帰神を行ったかは明示されていない。
又、猨女君遠祖天鈿女命、則手持茅纒之矟、立於天石窟戸之前、巧作俳優。亦、以天香山之眞坂樹爲鬘、以蘿蘿、此云此舸礙爲手繦手繦、此云多須枳而火處燒、覆槽置覆槽、此云于該、顯神明之憑談顯神明之憑談、此云歌牟鵝可梨。
『また猨女君の遠祖天鈿女命は手に茅を巻いた矛を持ち、天石窟戸の前に立って、巧みに俳優をした。また天香山の真坂樹を鬘とし、蘿蔓を手繦にして、庭火を焚き、桶を伏せ、顕神明之憑談(かむがかり)した。(顯神明之憑談はこでは歌牟鵝可梨・カムガカリという)』(小学館日本書紀)
神が別の神を受霊するとは、どういうことなのだろうか。
例えば神に別名があるのは、分魂により働きの一部が分化或いは特化した場合、他の神と受霊して別の働きを持った場合、働きの場(次元や範囲)等が変わった場合など様々だが、この段の解釈もそれに類するものだと思う。
太陽の働きが弱くなり、太陽系全体がその影響を受けた時に、天鈿女命の受霊によりその力を復活したという説神理のように思える。