『この天皇の御代に、疫病が大流行して、人民が死に絶えようとした。それで、天皇は愁え嘆いて、神託を受けるための床におやすみになった夜に、大物主大神が、夢の中にあらわれて言うには、「これは、私の意思によるものだ。だから、意富多々泥古をして私を祭らせるならば、神の祟りによる病も起らず、国もまた安らかであるだろう」と言った。そこで、駅使を四方に分けて、意富多々泥古という人を捜し求めたところ、河内の美努村にその人を見つけて、天皇にさしだした。そうして、天皇が「お前は、誰の子か」とお尋ねになると、答えて「私は、大物主大神が、陶津耳命の娘である活玉依毘売を娶って生んだ子、名は櫛御方命の子、飯肩巣見命の子、建甕槌命の子で、私は、意富多々泥古です」と申し上げた。すると天皇は、とても喜んで「天下は安らかになり、人民は栄えるだろう」とおっしゃって、早速、意富多々泥古命を祭り主として、三輪山で意富美和之大神を拝み祭った。
また、伊迦賀色許男命にお命じになり、神聖な多くの平たい土器を作って、天神・地祇を祭る神社を定め申し上げた。また、宇陀の墨坂神に、赤い色の楯・矛を祭った。また、大坂神に黒い色の楯・矛を祭った。また、坂の裾の神と川の瀬の神とに、すべて漏れ忘れることなく、幣帛を献上した。これによって、疫病はすっかりやんで、国家は平安になった。』(小学館日本書紀)