本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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N 古事記中巻 仲哀天皇の条
『其の大后息長帯日売命は、当時帰神りたまへりき。故れ天皇、筑紫詞志比宮に坐しまして、熊曽国を撃けたはむとせし時に、天皇御琴を控かして、建内宿祠大臣沙庭に居て、神の命を請いまつりき。是に大后、帰神して言教へ覚したまひつらくは、西の方に国有り、金銀を本めて、目の炎燿く種々の珍宝其の国に多在るを、吾今其の国を帰せ賜はむ、と詔りたまひき爾に天皇答へ曰したまはく、高き地に登りて西の方を見れば国土見えず。唯大海のみこそ有れとまをして、詐為す神と謂ほして、御琴を押し退けて、控きたまはず、黙坐しぬ。爾れ其の神大く忿らして、凡茲の天下は汝の知すべき国に非ず。汝は一道に向ひませ、と詔りたまひき。是に建内宿禰大臣白しけらく、恐し、我が天皇、猶其の大御琴あそばせとまをしき。爾稍其の御琴を取り依せて、なまなまに控き坐しけるに、幾久もあらずて御琴の音聞えずなりぬ。即れ火を挙げて見まつれば、既く崩りましにき(中略)。