幽斎以霊対霊、顕斎以形対形、故幽斎無神像宮社而祈真神。顕斎有神像宮殿而祭衆神。俗学蒙眛不知古義、混以為一、岐以為万、無所底止、実祭義之大疵。
訓
幽斎は霊を以て霊に対し、顕斎は形を以て形に対す、故に幽斎は神像宮殿無くして真神を祈る。顕斎は神像宮殿有りて衆神を祭る。俗学蒙味にして古義を知らず、混じて以て一と為し、岐(ワカ)れて以て万と為し、底止する所無し、実に祭義の大疵なり。
解説
霊を以て霊に対するの本田翁の学説と研修方法は他に類例のないもので、此の鎮魂、帰神の二法たるものは、何の伝流を持って来ても之に及ぶものは無いと思う。特に幽斎の法たるものは、正しい心身を以て行なわなければ真神に通ぜぬばかりでなく、其の深奥を覚る事も出来得ないので有る。帰神の際に審神者は、神主の心身を浄めて、而して霊の御降りを願う(転霊)にしても、神主の霊魂が曇って居る時は如何にしても善霊が憑られないものである。
幽斎と顕斎の二者を判然とさせたもので幽斎なくして顕斎なかるべからずと解説されても居るもので幽斎の如何に大事であるかを知らなければならない。古の義を知らないで何もかも同一にしてしまい諸説紛々、一神教、多神教等と称えて止まる所がないのは祭りの義に大きな疵となっている事を説いている。(「顕神本田霊学法典」佐藤卿彦述)