本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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古事記によれば、三種の神器は天孫降臨の際に天照大御神から邇邇芸命に授けられ、以後歴代天皇が継承している。天叢雲剣が草薙剣と呼ばれるようになったのは、後に東征を行った倭建命が、戦いの中で火攻めにあい、周囲の草を断ち切ったという伝説から草薙剣と名付けられた事による。この天叢雲剣(草薙剣)は、他の神器と異なり、水没、盗難、偽造、火災、喪失等々数奇な運命にみまわれる。
三種の神器については天孫降臨以後、第十代崇神天皇の御代まで記紀に特筆されていない。書紀によれば、崇神天皇の時に、神威を恐れて宮中に祀っていた天照大御神を、豊鍬入姫命に命じて倭の笠縫邑に祀ることにしたという。その後、垂仁天皇の時に、八咫鏡は皇女・倭姫命に託され、ついに伊勢に祀られることになった。
この宮外奉斎は、天照大御神の宝鏡奉斎の神勅による同床共殿(常に身近に置くこと)に反することになるが、「古語拾遺」(斎部広成編纂807年)によれば、崇神天皇の時に新たに神鏡と神剣を造り天皇の「護の御璽(まもりのみしるし)」とし、「天照大神(注・八咫鏡のことと思われる)及草薙剣」を倭の笠縫邑に遷したとの記述がある。つまり宮中の形代は、この時から祀られるようになったのだ。