本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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さて、倭姫命により伊勢神宮に祀られていた天叢雲剣(草薙剣)は、景行天皇の時、その皇子ヤマトタケルノミコトが東征を命じられた折に、ヤマトヒメによって授けられ、伊勢から持ち出されることになる。そしてヤマトタケルノミコトの亡き後、尾張で祀られるようになり、熱田神宮のご神体となった。
その後、天智天皇の時(668年)に僧により2度盗難にあうが、その都度運よく回収されて、その後18年間にわたり宮中にて祀られる。そして天武天皇の時(686年)に、天皇が重病になり、それが草薙剣の祟りだと解釈されて、再び熱田神宮に送られた。(天武天皇はその直後崩御されている)
熱田神宮のご神体については、18世紀に書かれた「玉籤集(ぎょくせんしゅう)」の裏書に詳しい実見の記録がある。
当時の大宮司以下数人の神職が密かに見た時の記録だが、後に大宮司は流罪になり、他の神職たちも一人を除き全員が重病悪病で死亡したという。