一般財団法人 野萩青少年育成財団

守るべき国体とは何だったのか

先行公開・2026年10月11日

第5回 第5回 序章 昭和二十年に何を守ろうとしていたのか(2/3)

二 軍部と政府と天皇

私は、軍部、政府、天皇が思い描いた国体には、重なりとずれがあったと考える。ただし、軍部の全員が同じ考え、政府の全員が同じ考えだったという意味ではない。陸海軍の違いがあり、同じ組織のなかにも、時期による判断の変化がある。

軍の一部にとって、国体の護持は、天皇の地位だけでなく、軍の自律性や国家体制の維持と深く結び付いていた。一方、終戦を実現しようとする人々は、軍事的な見通しと国民生活の破綻を前に、降伏の受諾によって皇室と国の継続を確保しようとした。どちらが国を思っていたかという動機の競争よりも、どの条件を不可欠と考えたかを見る必要がある。

天皇についても、皇統、神器、国民、国土の間に、ご本人が明示した不変の順位表があるわけではない。ある場面で神器の保全を強く案じたことと、別の場面で国民の惨禍を憂えたことは、両立する。そこから直ちに、国民は常に何番目だった、と断定することはできない。

しかし、順位を確定できないからといって、生命が政策のなかでどのように扱われたかを問えなくなるわけでもない。命令、補給、避難、継戦の判断、その結果を見れば、理念として大切だと言ったものが、行動のなかでどこまで守られたかは検討できる。

三 本土決戦という矛盾

国民が生命を失っても、国体だけは残る。そのような言い方が成り立つとすれば、国体は、国民から切り離された何かになっている。

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