一般財団法人 野萩青少年育成財団

鎮魂法と帰神術

先行公開・2026年10月11日

第2回 第2回

10数年にわたる先生方の御指導のお蔭で、基本的な部分については、ある程度修得することが出来たが、先生方の帰幽後は、進歩の速度が突如として遅くなり、以後、残念ながら一進一退を繰り返している。

若い頃は、一心に努力すれば、先生方に少しずつでも近づけるような気がしていた。しかし時が経つにつれて、その期待は崩れていった。「3歩進んで2歩退がる」ではなく、全く逆に「3歩進んだら5歩遠ざかったような思い」になった。

実感は少ないものの、薄皮をめくるように、自分としては僅かながらも前進していると思うのだが、先生方の境地が、日増しに遠ざかってゆくような感覚になる。

理解が深まれば深まるほど、神界に接すれば接するほど、如何に先生方が凄かったか、その差を痛感する。そしてその差は、年を重ねるに従って、大きくなってゆき、文字通り、落胆と失望の日々を過ごすようになった。

質問できる方が一人もいないというのは、本当に辛いものだ。

研究や体験を通して得られた仮説を確認するすべがないからである。

それでこのままではダメだと思い、数年前から修行と研究に専念することにしたのだが、最近、ますます隔たりが大きくなってゆく感がある。

第二編 祭事編、顕・幽の区別

祭事(まつりごと)に顕斎(祭)と幽斎(祭)の二形式がある。顕斎は誰しも知るところであるが、「幽斎」となると全く知らぬ人が多い。神法の根元とする処はこの幽斎にあるのである。

第一章 顕 斎

顕斎とは祭儀上の一式典で、これを古典の上に最も明らかに知る事の出来るのは、古事記の岩戸神楽の条である。即ち、天照大御神、弟神素盞嗚命の暴状をにくませ給いて、天岩屋(天石屋戸)に幽居(こも)りませし時、天の下常闇(とこやみ)となり、八百万神々天の安之河原に神集い集い給いて、大御神を慰さめ出だし奉る方法を議し給いました。

ここに思兼神の御建言により祭具の製作に取かかられ、伊斯許理度売(いもこりどめ)命は御鏡を、玉祖命は八尺勾玉を作りたまいて祭事を執り行はせられた事は、誰もよく知ることであろう。之れが即ち顕斎である。

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