一般財団法人 野萩青少年育成財団

霊学の継承 戦後

先行公開・2026年10月11日

第2回 第2回

 昭和五年(十五才)頃、津村豊如氏という伏見の稲荷神社の講社を開いて居り、なお、神道十三派中、神習教に附属していた人が有った。此の人に就て種々話や修業法などを聞いた。後程気付いたが此の人の方法は両部神道であつた。此の時期には正直な処神佛の区別は判然として居らず、したがつて霊界の組織等に就いては全く智識が無かつたのである。此の時代は信仰とか宗教研究というものよう、専ら自己の霊力の発顕を目標として主力をそそぎ、各種の研究に眼を向け始めたものである。霊的研究の書籍を乱読したのも此の時期である。当時発行された浅野和三郎氏の「神霊と人生」なども読み、なお霊媒に関した書物もよく読んだ。此の頃も先天的と云うべきか、霊感による予言的事柄が、大分適中率が多かつたので、種々用件を持込まれて解決した事を何件か有つたが、今考へると一種の憑依現象の為であつたと思う。

 其の頃縁故者である望月老人より、長沢雄楯翁が偉大なる霊学の泰斗であり霊術も指導されて居るので、一度出向いて見ては如何との話が有った。然し当時の状態では鎮魂法、帰神術の本能なるものは何たるやは全く無知であつた。現今、その時代を懐古するに、その頃は主として霊眼とか霊覚等の発揮研究に邁進して居つたので、神霊の憑依とか憑霊の諸現象は見られなかつた様に思はれたが、やはり或る種の憑依によって種々現出されて来たものであると思へる。其の後、各種の霊能発揮に力をそそいで来たものの、何か書籍を以つての独習の為に、完全且つ充分な研修を得られなかったのは当然の事であつた。

 昭和七年五月偶然の機会から、長沢翁高弟で審神者の術では他の追従を許さぬと云はれた。白髭神社に奉仕の稲葉大美津先生に或る日会見する事が出来得た。其の際は別に入門する気持ちで出向いた訳ではなく、種々談話を伺う心算で会見したのでは有つたが、さてその鎮魂法並び帰神術に就ての、本田翁の高遠幽玄なる学説、長沢翁の博識なる霊学の学説等を拝聴するに及び、此れまで自分の学んできた過程方法等は、如何に視野の狭きものであり、なお低級な霊への接触であって、偉大なる神界の大霊への交流に有りざる事を利然と悟り、即時入門を願ったものである。

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