一般財団法人 野萩青少年育成財団

霊学の継承 戦後

先行公開・2026年10月11日

第3回 第3回

 ここに於て稲葉翁に就て鎮魂法、帰神術の学説や実習の為指導を願って居った。或る一日、翁より「君の帰神術は今まで指導して来た中で特に目立って居る故に、長沢翁に話をして置いて有るから、翁の処にも出入りする様に」と申渡された。かくして其の後翁と同道の上、月見里神社の社務所に長沢翁を訪問し入門帖に記名したのである。長沢翁に入門するのには簡単に入門出来難いと聞いたのは其の後の事であつたが、是は稲葉先生の口添に、自分の修業過程の話が前以って有った為に、意外に易く入門出来得た事も、それも後で伺ひ知った訳である。かくして長沢、稲葉両翁に就き其の後引続き、霊学上の学説と神術等を共々御教導を受けて来た。

 稲葉翁は長沢翁に先立つ事。二年前、昭和十三年三月十日、清水市入江町白髪神社々務所にて、御死去(享年六十二歳)なされたので、以後は長沢翁に就て専心学んで来た。

 昭和十五年十月十日、長沢翁御危篤の電報に接した(この電報は今でも所持している)。中村氏(天文食堂主人)よりもその旨の電話に接し、急遽馳せ参ずる途中、杉山公伸

氏に電車で会い道を急いだ。翁の枕辺には山田医師が憂い顔をなし、カンフルを時々注射していた。枕頭には門下では中島氏外三、四名、憂愁な面で翁を見つめていた。全く危篤との医師の言葉がある前に翁の口より辞世の言葉が漏れた。嗣子夫人が便箋を持ち再度の御言葉を待つたが、既に聞きとる事が出来得なかつた。時十月十日手石二時五十三分、容態急変してより僅かに二時間余りにて遂に幽明境を異にしたのである。(享年八十三歳)

 長沢翁御死去以前、昭和十一年一月、翁の奉仕されている清水市下清水に鎮座せる、月見里神社の附属講社を設立し、霊学の道を一層盛大に拡め、且つ鎮魂法、帰神術に依りて、世に悩みある人々を救うべしとの命を受けた。ここに於て稲葉先生と相計り役員諸氏をきめ、稲葉翁を顧問となして、昭和十一年九月十六日に長沢翁御臨席の元に、講名を、顕神会と名のり発会式を執行する運びに到つたのである。此の顕神会なる名は長沢翁が日本書紀の中にある「又猿女君の遠祖天鈿女命…顕神明之憑談す」此れより採られて御選名下されたので、最も記念すべき事ひくめる。

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