さらに不思議なのは、このような重大な記録が、日本側ではほとんど正面から語られてこなかったことです。
遣隋使は、莫大な国家的事業でした。中国大陸へ使者を送り、隋という巨大帝国と外交関係を結ぼうとしたわけです。
にもかかわらず、日本側の記録には、どこか不自然な空白や曖昧さがあるように見えます。
なぜなのでしょうか。
私は、この問題の背後には、単なる外交記録の漏れではなく、当時の王権の正統性、女帝であった推古天皇、隋側の冊封・朝貢秩序、そして中国側に伝えられた「倭王」の理解が関わっているのではないかと考えています。
本書では、『隋書』倭国伝の一文を手がかりに、天皇に姓があるとはどういうことなのか、阿毎氏とは何を意味するのか、なぜ「天」ではなく「阿毎」と記されたのか、そして、なぜこの記録が日本側で扱いにくかったのかを考えてみたいと思います。
もちろん、本書で述べることには、推測を含む部分があります。歴史の謎に対して、完全な断定をすることはできません。
しかし、古代史には、断定できないからこそ考える価値のある謎があります。
『隋書』が記した倭王の姓。その一文の奥に、古代日本の王権と神話の深い問題が隠されているように思うのです。