一般財団法人 野萩青少年育成財団

十牛図考

先行公開・2026年10月11日

第1回 第1回 禅の源流

「仏教の基本的な修行である禅の源流はヨーガの修行法にさかのぼる。

ヨーガを知らないで仏教の禅を語ることはできないといっても過言ではない。」(禅の思想辞典)

ひとり静かに坐して印を組み、呼吸を数えながら心を落ち着かせる。時折雑念を打ち消しつつ、唯ひたすら坐り続ける。だが、それが坐禅だと思ったら大きな間違いだ。その程度で”悟りの境地”、つまり禅定(三昧)に入れると本気で考えているんだろうか?

「閑坐」という禅語がある。佛教語大辞典によれば、「空虚な坐禅をすること。無駄な坐禅。唯静かに坐っているだけの坐禅」という意味が最初に出てくる。景徳伝灯録の薬山惟儼章にも閑坐は無意味な坐禅という意味で使われている。もちろん「閑」にはネガティブな意味だけでなく良い意味もあるが、問題は「唯静かに坐っているだけの坐禅」が無駄で空虚な坐禅だという点だ。

そう言うと、”唯坐っているわけじゃない。数息観によって心を鎮めて、無念無想になろうとしている”という方もいるだろう。確かに参禅会に行くと、足の組み方、印相(手の組み方)、坐相(坐る姿勢)、目線(視線の向け方)、調息(呼吸の仕方)などと共に数息観を習う。数息観とは、呼吸を数えることで雑念を抑え、心を静める効果があるとされている一種の調心法のようなものだ。

先行公開一覧に戻る