2022-06-15 著者:小山一夫
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ダンマパタ(法句経)には、
「自己こそ自分の主である。
他人がどうして(自分の)主であろうか?
自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。」
(「ブッダの真理の言葉、感興の言葉」より)
また最も古い経典といわれる「スッタニパータ」にも
「あまねく見る方よ。わたしはあなたを礼拝いたします。シャカ族の方よ。わたしを諸々の疑惑から解き放ちたまえ。」
というドータカに対して、釈迦は次の様に明言します。
「ドータカよ。
わたしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させえないであろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。」
(「ブッダのことば」より)
また同じ経典には、次の様な衝撃的な内容も書かれています。
「ヴァッカリやバドラーヴタやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨てたように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸に至るだろう。」
(「ブッダのことば」より)
このように釈迦は、釈迦自身に対する礼拝を拒否するだけでなく、他に依存するような弱さや、そして信仰すらも否定することによって、厳しいまでの自己実現を主張していたのです。
ですから後世の仏教が、ともすれば釈迦の意思に反していると思われてしまうのも、無理からぬことでしょう。