一般財団法人 野萩青少年育成財団
記事一覧に戻る

シッダールタ-5

2022-06-20 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

 

「このように釈迦は、釈迦自身に対する礼拝を拒否するだけでなく、他に依存するような弱さや、そして信仰すらも否定することによって、厳しいまでの自己実現を主張していたのです。」


この考え方は、ヘッセも『シッダールタ』において明示しています。


31ページからの「ゴータマ」の章で、シッダールタと彼の友で一緒に沙門となったゴーヴィンダは、ついに釈迦と出会い、彼らは釈迦を解脱者と認めますが、釈迦に弟子入りを望んだゴーヴィンダを残して、シッダールタは別離の道を選びます。


そして遊女と愛し合い、博打の世界に埋没してゆくわけですが、あまりの荒んだ生活に自暴自棄に陥り、自殺を試みます。
 

釈迦の説く戒律などから遠く離れた生き方をしてきた彼は、その後も紆余屈折しながら、ついに解脱するわけですが、一方のゴーヴィンダは、厳しい戒律と修行の人生を過ごしたにもかかわらず、解脱には程遠く、なんら心の平安も得られませんでした。


最終章で、二人は再会するのですが、その時にゴーヴィンダはシッダールタの中に真の解脱者の姿を見ます。


破天荒でいわゆる聖者像とは全く異なる様子のシッダールタは、単なる宗教的な思い込みではなく、真の自由を獲得し、深遠なサマディを体得していたのです。


この作品に於いて、ヘッセは老荘の世界に通ずる求道者の在り方を見事に描きましたが、翻訳者の高橋先生によれば、ヘッセ自身「瑜伽の行」にいそしみながら執筆に3年の年月をかけて、かなりの苦労をしたとのことです。


瑜伽とは、いわゆるヨーガのことですが(中国に於ける音写)、高橋先生がなぜヨーガと書かずに「瑜伽」と表記したのか、私はそこにとても興味があります。
 


元記事