2022-06-28 著者:小山一夫
原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。
『何も教えられてはいない。
あなた自身が自分の目で見たのである。
ひたすら見ることがあなたに示したのである。
言うなれば、そのように見ること自体があなたの師なのである。
見るも見ないもあなた自身にかかっているのであって、他の何人もそれをあなたに強いることはできない。
しかし、もし報いを望んだり、罰を受けるのを恐れて見るというのであれば、そうした動機が見ることを妨げる。
見るためには、あなたは一切の権威や伝統や恐怖、あるいは狡猾な言葉に満ちた思考から、自由でなければならない。
真理はどこか遠くにあるのではなく、あるがままの現実を見きわめることにある。
あるがままの己れの姿を曇りなく、あれこれの判断を何らさしはさむことなく見ることこそは、一切の探究の始まりであり同時に終わりである。』
「クリシュナムルティの瞑想録」平河出版
釈迦が最初に説いたとされる八正道では、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定、が涅槃に至る徳目だそうです。クリシュナムルティは、この正見を見事に解き明かしています。
自由な視座から真理に向かう姿勢が、必要なのでしょう。