2022-12-14 著者:小山一夫
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ウパニシャッドでは、この個人の真我(霊魂)を、宇宙の最高原理である神我に合一・融合させること、つまりサマディ(三昧)を目標としています。これはヨーガに限らず、原始仏教でも同様です。その手段として、能動態(真我を肉体から分離させサマディに入る)と受動態(師の傍らに坐り合一することでサマディに入る)の2方法を説いています。その一例をあげると、
カタ・ウパニシャッドでは(「世界の名著」中央公論社)
「心臓の脈管は百と一ある。そのうちの一つは頭頂へと走っている。(アートマンは)それによって上方におもむき、(頭頂の孔〈ブラフマランドラ〉から身体を抜け出して)不死に到達する。」
原始仏教の立場としては(「自我と無我」中村元編)
「初期の仏教においては、著しくウパニシャッドの哲学に類似した思想を説いている」
「仏教の修行そのものを『アートマンに関する、真実無上の、ブラフマンに赴く車乗』と呼んでいる。」
禅の鈴木大拙先生は(「禅による生活」)
「悟りは人間の中に神が入り来たりて、そこで神が自己を意識するのである。」
曹洞宗の道元禅師は(「正法眼蔵」)
「出路に一如を行ずるなり。その超関脱落のとき、この節目にかかはらんや。」