2023-04-09 著者:小山一夫
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「一切が神聖か、
それとも何ものも神聖ではないかのいずれかである。
あなたの言われること、あなたの言葉、あなたの思考、あなたの詠唱は
いずれ真剣であるかもしれないが、
それらは逆に精神を欺いてある種の魔法にかけているにすぎず、
実際は幻想に陥っており、
それゆえいっこうに真剣なものではないかもしれない。
確かに神聖なものはあるが、
それは思考が構築した言葉や、
彫像あるいは偶像といったものの中にはないのである。」
「クリシュナムルティの瞑想録」
思考が構築した言葉や、彫像あるいは偶像といったものの中に神聖なものはない、というクリシュナムルティは、神像、仏像、曼荼羅などへの礼拝を要求していませんでした。
確かに、それらに向かって長時間マントラなどを唱え続けていれば、なんとなく神秘的?な雰囲気に包まれることもあるでしょう。でも多くの場合、それは単なる自己催眠に過ぎないと思います。
宗教だからそれでいいじゃないか
信ずるものは救われる、と言うだろ etc
それで満足されるならば、それで結構だと思いますが、それではヨーガ本来の醍醐味というか、真価を知ることは出来ないでしょう。
ヨーガスートラやウパニシャッドの説くヨーガは、正しく行なうのならば、自身を深遠なサマディに導いてくれます。でも、その境地は、礼拝や信仰ではとても到達できない世界なのです。
マントラのチャンティングを楽しむのも結構ですが、チャンティングでサマディに入るのは不可能だ、というのが私の持論です。