2024-08-18 著者:小山一夫
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佐保田鶴治博士が生前、「ラージャ・ヨーガの瞑想は、禅をイメージするといい」と言われたそうです。確かに、達磨大師はヨーガスートラとほぼ同じ時代の方ですし、禅の技術はカタ・ウパニシャッドに酷似しています。私は昔からカタ・ウパニシャッドやヨーガスートラを読んでわからないときには、前述の3書を開くようにしていました。それで大抵の疑問は、解決の糸口をつかめました。
「あるがままに」は八支則について、「クリシュナムルティの瞑想録」は瞑想の根幹について、「正法眼蔵」は真我の動かし方について、それぞれ驚くほど具体的に、かなり詳しく述べています。やはり傑出した本物は違うなと、つくづく思いました。
ところでカタ・ウパニシャッドの瞑想ですと、チベットの「マハームドラーの詩」や、「ミラレパの十万歌」の一連の詩もとても参考になります。「十万歌」の方は、なかなか手に入らない本なので、図書館で探されるといいでしょう。千頁ほどの大著ですが、比較的読み易い素晴らしい書です。
『無限の知識を持つ心を超えたものは力。本来浄らかなものはもう一つの力。それ故無分別の揺るぎない瞑想の修行は力。大いなる光もまた力。完全にくつろいでいる時、何が起こっているのかを見るなら、その行為そのものが力を生み出す。一切の流れるもの、満ち溢れるもの、抱かれるもの、そして真如(在るがまま)、これらすべては力をもたらす。』「ミラレパの十万歌」