2024-10-18 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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ヨーガを修行してきた私には、その技法の数々が極めてヨーガに近いことがわかる。インドと中国は紀元前のかなり早い時期から交流があったわけだから、なんら不思議なことはないが、例えば易筋経はアーサナに、そして洗髄経はクリヤに対応している。原理的にも、効果の面でも、そして漢訳語を見ても、それぞれ実にマッチしていて驚くばかりだ。勿論、禅はヨーガをルーツとしているので当たり前だといえばその通りだが、それにしてもよくできた話だ。
ところでこの易筋経&洗髄経は、身心を整え堅固にする効果に優れているが、それが主たる目的ではない。何のためにあるのかといえば、言うまでもなく坐禅つまり禅定の実現をサポートするためにある。ヨーガにおける肉体鍛錬系のトレーニングと同じ位置付けだといっていい。
ヨーガと禅は切っても切れない関係にあるが、では何故ヨーガのように本来技術的に高度かつ精密であった禅が、昨今形骸化しているかのように見えるのだろう?いろんな意見があろうかと思うが、私には、十牛図(廓庵版)に責任の一端があるように想えてならない。
禅定そして悟りの実現のために書かれた優れた文献が、なぜ力を失ってしまったのだろうか?そして、なぜ禅の持つ力(チカラ)を削ぐことになったのだろうか?
本書では、幾多の牧牛(象&馬)図と比較しながら、日本で普及した十牛図(廓庵版)を考察することで、その疑問を解明したい。本書が、坐禅に真の力を与え、読者を瞑想の極致へと誘う一助となれば幸いだ。