一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-10

2024-10-22 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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身心脱落
身心脱落は、道元の坐禅を語るときに不可欠のキーワードだ。いくつかの解説本を見ると、「身体と心がもぬける事」、「一切の執着や煩悩から脱して心身共に清々しい境地になる事」などと説明している。また、佛教語大辞典では、「肉体(身)も精神(心)も、一切のとらわれをのがれて自在の境地に入ること」とある。


自由無礙というか、自然無為というか、もしそれが坐禅を通して実現するなら、実に素晴らしいことだ。だが、数息観で呼吸を数えながら何年坐ったとしても、そんな境地には到底指も掛からないだろう。だから、いくら小綺麗な言葉を弄しても、それでは現実味のない絵空事にしか聞こえない。


身心脱落、その境地を実現するにはどうすればいいのだろうか?その答えを得るには、まず、身心脱落とはそもそも何なのか、何がその実現を邪魔しているのか、について考察する必要がある。我が国ではじめて身心脱落を説いた道元の正法眼蔵、そして禅の源流であるヨーガの古典等を手掛かりに、その境地の意味するところを精査したい。そうすれば、そこに至る道筋も自ずから顕かになるはずだ。古の風格ある老師達の観た世界を、私たちも垣間観ようではないか。ここでは、無用な言葉遊びを避け、如何に目的を達成してゆくかを真摯に考えてゆきたい。


身心脱落とは、極めてリアルに体験できる世界だ。宗教的な美辞麗句で誤魔化すようなものではない。一定の条件下で正確に行なえば、誰もがテクニカルに到達できる境地だといっても過言ではないだろう。

 


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