2024-11-02 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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ラーマナ・マハーリシの沈黙
20世紀を代表するインドの聖者ラーマナ・マハーリシは、沈黙の伝授を得意としていた。佐保田鶴治博士の「ヨーガの宗教理念」によれば、「彼は入門者の方へ燃えるような眼を向ける。すると、彼の両眼の輝きと力とが、その弟子の心を貫いて、その想念の連続を破壊してしまう。時として相手は、まるで強力な電流が流れこんだように感じたこともあった。」という。
眼力という言葉があるが、このような無形の力を使う場合必ずしも凝視する必要はない。グルであれば瞑目していても同じことが出来るわけで、佐保田博士も3種類の方法(①体に触れる方法、②眼を見つめる方法、③思念だけで行なう方法)を紹介している。
前述の例は入門者に対するものだが、修行の進み具合によって異なる力を使うことになるので、受け手に起こることも当然違ってくる。ラーマナは禅の老師のような風格と趣を持っていたが、巷間、沈黙の聖者といわれるように、平素も物静かな佇まいだったという。
彼の教えは、極めてシンプルだ。「私は誰か?」という問いかけを、「人間の真性である無限絶対の存在をさとるための、無過失の手段、唯一の直接的方法」(「ヨーガの宗教理念」)として推奨していた。これはまさしく”汝本来の面目は如何”に他ならない。この一点をどこまでも追求してゆく姿勢が、彼のスタンスだったのである。