2024-11-23 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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次に非我だが、これについて中村博士は「初期仏教の聖典は、我ならざるもの(非我)を我(アートマン)と見なすことをも排斥している」と説明している。
したがって諸法無我についても当初は、「一切諸法はアートマンならざるものである」、「客体的に把捉し得るありとあらゆるものが、アートマンならざるもの、すなわち非我である、ということを強調したのである」と解釈されていたという。
さらに博士は、アートマンと非我の解釈についても、「仏教はウパニシャッド乃至ヴェーダーンタ的思想と何ら異なっていない。」という。そして「したがってわれわれはこれを無我説と呼ぶことを躊躇する。『無我』という語は誤解を引き起こし易い。」、「初期の仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認している」、「ウパニシャッドなどの思想と多分に密接な連関をたもちつつ、独自の実践的倫理的なアートマン論を展開しているのである。」、「本来の自己(アートマン)ならざるいかなるものにもよることなく、ひたすら本来の自己を追求し、そうしてそれによって現実の人生における苦を超克しようとしたのである。」と結論付けている。
この一途に”本来の自己=本来の面目”を追及し続けるスタンスは、仏教各派の中では、最も禅に近いものではないだろうか。