2024-11-25 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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解脱の定義
中村博士の論文を読めば、無我と非我の違い、そして原始仏教が如何にウパニシャッド思想と近いものだったかがよく理解できるだろう。原始仏教とウパニシャッドは、その求める境地がほとんど同じだったのだ。だとすれば”釈迦は無我を説いたから、人間の本質たるアートマンを否定した”つまり”仏教はアートマンを認めていない”というのは、全くの誤解ということになる。
ならば、ウパニシャッドの理想を実現するために作られたヨーガは、仏教の理想を実現する上でも直接的に役立つはずだ。だからヨーガの瞑想法が禅の修業に取り入れられ、また禅の牧牛図がウパニシャッドの階梯とほとんど同じ構成なのだろう。
そこで次に問題になるのは、解脱の定義だ。ヨーガも原始仏教も、その目標は解脱であり、内容的にもほぼ同じ境地を目指しているが、この点について考察したいと思う。
解脱というと、すぐに”輪廻転生からの解脱”と連想する人が少なくないが、本来、解脱と輪廻とは無関係なのだ。だから輪廻転生からの離脱をもって解脱というわけではない。なぜなら昨今の輪廻思想の生まれる前から、インドでは”解脱”が説かれていたからだ。輪廻思想が先にあって、何とかその問題を解決しようと、天才たちが苦労してやっと離脱(解脱)する方法を見つけた、というわけではないのだ。