一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-40

2024-11-21 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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仏性は穢れるか
黒牛と白牛の色の問題は、そのまま牛と牧童の意味に繋がる。禅の十牛図(廓庵版)については、古今多くの解説書が書かれてきたが、それぞれ考え方は様々だ。先ず牛だが、心、本来の面目、悟り、煩悩、仏性等々いろんな見解がある。

 

禅の十牛図が日本に渡来して数百年経つにもかかわらず、なぜ統一した見解ができずに、このように意見がバラバラなのだろう?悟りから煩悩まで、それこそ正反対の捉え方がされてきたのは何故なのか?私には、日本が廓庵版を選択したことが原因だと思えてならない。


もしも普明版などのように牛の色が変化していれば、その解釈もかなり狭めることができる。その段階で”悟り”とか”煩悩”などという解釈は消えるだろう。

 

涅槃経では、仏性は垢染することがあると説く。だから黒色を穢れとか垢染と考えれば”仏性”、”心”などが牛の候補として残る。そして修行によって浄化されてゆき、黒牛が白牛になることで本来の輝きを取り戻すという構図ができる。この浄化の階梯が牧牛図に示されていると考えれば話は簡単だが、果たしてそれでいいのだろうか?仏教の原点に戻って検討してみよう。

 


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