2024-11-28 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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離脱と合一の原理
ヨーガスートラは、身心脱落(心の作用の止滅)後に真我(プルシャ)の観照と独存を要求するが、ウパニシャッドではさらにその後、真我(プルシャ)を肉体から離脱させブラフマンと合一させることを説いている。
「心臓の脈管は百と一つある。そのうちの一つは頭頂へと走っている。(アートマンは)それによって上方におもむき、(頭頂の孔(ブラフマランドラ)から身体を抜け出して)不死に到達する。」
「死神によって説かれたこの知識と、ヨーガの全規定とを得て、ブラフマンに到達し、汚れを離れ、死を超越した者となった」(以上、「世界の名著」第1巻)
このようにカタ・ウパニシャッドによれば、真我はブラフマンに到達した後で、「汚れを離れ」るとある。”穢れたままで宇宙の最高原理と合一できるのか?”と疑問に思われる方もいるだろう。
ここで一度整理して考えてみよう。まずヨーガスートラの段階で身心脱落を達成する。それによって身心にまつわる無形の穢れは排除される。だから合一後に離れるべき穢れとは、身心に関するものではなく、真我(プルシャ)に付着したものになる。つまり身、心、真我(プルシャ)の3段階に分けて漸次穢れを祓うことになる。
この辺りの発想は、普明版などの牧牛図やチベットの牧象図などと共通しているように思える。もしそうなら、”牛=真我(プルシャ)(アートマンを除く)”ということになるだろう。
それでは真我(プルシャ)の穢れを解決するにはどうすればいいのか?
神我(ブラフマン)と合一した後に残るのは真我(プルシャ)しかないが、真我(プルシャ)の構成要素としてのアートマンもその内に在る。ウパニシャッドによれば、ブラフマンと合一後、アートマンは次に融合(消融)へと進んでゆく。
つまりここで必要なのは、アートマンの”プルシャからの離脱”なのだ。なぜなら、アートマンはブラフマンと同じ質でできているから融合できるが、プルシャの質は完全に一致するものではないので、そのまま融合することができない。プルシャの穢れもあるだろうし、アートマン以外のプルシャの要素も、融合に際しては余分なものなのだ。