一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-64

2024-12-15 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第一図 尋牛


序
従来不失、何用追尋
由背覚以成疎、在向塵而遂失
家山漸遠、岐路俄差 
得失熾然、是非鋒起

従来失せず、何ぞ追(つい)尋(じん)を用いん
背(はい)覚(かく)に由(よ)って以(もっ)て疎(そ)と成り、向(こう)塵(じん)に在(あ)って遂(つい)に失す
家(か)山(ざん)漸(ようや)く遠く、岐(き)路(ろ)俄(にわか)に差(たが)う
得失熾(し)然(ねん)として、是非(ぜひ)鋒(ほう)起(き)す

頌
茫茫撥草去追尋
水闊山遙路更深
力尽神疲無処覓
但聞楓樹晩蝉吟

茫々(ぼうぼう)として草を撥(はら)い去って追尋す
水闊(ひろ)く山遙(はる)かにして路(みち)更に深し
力尽き神(しん)疲れて覓(もと)むるに処(ところ)無し
但(た)だ聞く楓(ふう)樹(じゅ)に晩(ばん)蝉(せん)の吟(ぎん)ずることを

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力尽き神(しん)疲れて覓(もと)むるに処無し
但(た)だ聞く楓(ふう)樹(じゅ)に晩(ばん)蝉(せん)の吟(ぎん)ずることを


覓(もと)むるとは、眼を細めてものを見定めようとすること、広く探し求めること。処とは、しかるべきところ、足を止めて腰を落ち着けるところの意。

心身ともに力尽きたが、もはや見当もつかない。ただ楓樹に晩蝉の声を聞くばかりだ。闇雲に唯走り回っても、堂々巡りしているだけで、然るべき成果を得ることはできない。どれが本物かさっぱりわからないし、それぞれが尤もらしく聞こえる。


探し疲れて力尽きたら、心身ともに安らいでゆっくりと深呼吸するといい。そうすれば、ふと我に返り、冷静さを取り戻すことができるだろう。


良師や教えを探すことはもちろん大事だが、問題は”何を基準にして良し悪しを判断したらよいのか”ということだ。つまり正邪や真偽を判断できるだけの知識や基準を持っていなければ、良師に師事することも期待薄だろう。そこで、迷った時には”探源”という言葉を思い出して欲しい。源(ルーツ)を探ることは、全体像を知ることに繋がる。全体像がわかれば、自分の現在位置がわかる。方針を決めるのはそれからでいい。いずれにせよ、心を落ちつけて先賢の叡智を紐解こう。
 


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