一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-78

2024-12-29 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第二図 見跡

序
依経解義、閲教知蹤
明衆器爲一金、体万物為自己
正邪不辨、真偽奚分
未入斯門、権為見跡

経に依(よ)って義を解(げ)し、教を閲(けみ)して蹤(あと)を知る
衆器の一金為(た)ることを明らめ、万物を体(たい)して自己と為(な)す
正邪辯(べん)ぜずんば、真偽奚(なん)ぞ分かたん
未だ斯(こ)の門に入らざれば、権(かり)に見(けん)跡(せき)と為す

頌
水辺林下跡偏多
芳草離披見也麼
縱是深山更深処
遼天鼻孔怎蔵他

水辺林下 跡偏(ひと)えに多し
芳(ほう)草(そう)離披(りひ)たり 見るや也(ま)たいなや
縦(たと)い是れ深山の更に深き処なるも
遼天(りょうてん)の鼻(び)孔(くう)怎(なん)ぞ他(かれ)を蔵(かく)さん
 

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さとりへの階梯


では見跡の結果、十牛図ではどのような方向性を持つことになったのだろうか?それは三図以降を見ればわかるが、ここではウパニシャッドや他の仏典との比較から考察してみよう。


ヨーガスートラ&カタ・ウパニシャッドでは、①心の作用の止滅、②純粋観照者の出現(真我を観る)、③真我独存、④真我の離脱、⑤宇宙の最高原理との合一、⑥穢れを離れる、⑦死を超越する、という流れになる。これを禅の考え方と比較してみると、①は身心脱落、②は見性、③は得牛から牧牛、④は騎牛帰家、⑤と⑥は忘牛存人、⑦は人牛倶忘に相当する。このように、禅の十牛図は、まさにウパニシャッドの境地を実現するための具体的な階梯だったのだ。


次に、初期の仏教経典である大安般守意経(アナパーナサチ)と比べてみよう。数息観、相随を経て、概念(・・)的には①が止、②が観、③~⑤が還、⑥と⑦が浄、ということになるだろう。


つまり初期の仏教、禅の十牛図、ヨーガスートラ&ウパニシャッドは、悟りの階梯についてほとんど同じ考え方を採用しているわけだ。ウパニシャッドの目指す境地が、原始仏教とほぼ同じであることは既に確認しているが、悟りに到るプロセスとテクニックも同様だったことになる。


この一連の流れを言い換えると、身心脱落→見性→独存→離脱→合一→融合となる。


では次の「見牛」から、具体的な技法を解説することにしよう。
 


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