一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-77

2024-12-28 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第二図 見跡

序
依経解義、閲教知蹤
明衆器爲一金、体万物為自己
正邪不辨、真偽奚分
未入斯門、権為見跡

経に依(よ)って義を解(げ)し、教を閲(けみ)して蹤(あと)を知る
衆器の一金為(た)ることを明らめ、万物を体(たい)して自己と為(な)す
正邪辯(べん)ぜずんば、真偽奚(なん)ぞ分かたん
未だ斯(こ)の門に入らざれば、権(かり)に見(けん)跡(せき)と為す

頌
水辺林下跡偏多
芳草離披見也麼
縱是深山更深処
遼天鼻孔怎蔵他

水辺林下 跡偏(ひと)えに多し
芳(ほう)草(そう)離披(りひ)たり 見るや也(ま)たいなや
縦(たと)い是れ深山の更に深き処なるも
遼天(りょうてん)の鼻(び)孔(くう)怎(なん)ぞ他(かれ)を蔵(かく)さん
 

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縦(たと)い是れ深山の更に深き処なるも
遼天(りょうてん)の鼻(び)孔(くう)怎(なん)ぞ他(かれ)を蔵(かく)さん

 

たとえ深山のさらに奥にあっても、遥か天に向かう鼻孔を、どうして蔵せようか。


遼とは、遥か彼方まで続いていること。鼻孔とは、人間の中心となるもの、大切なもの、本分などの意、ここでは優れた師や教えのこと。正法眼蔵・阿羅漢には「いまだ鼻孔に出入せざれば、阿羅漢にあらず」とあり、岩波文庫では「自己の鼻孔に入るとは自分の正体に入ること」と解説している。


「他(かれ)」を使っていることに注意。「得牛」では「渠(かれ)」を、「牧牛」では「伊(かれ)」をそれぞれ牛に充てている。重要なのは、三人称代名詞を、段階(図)ごとに厳密に使い分けている点だ。その意味を充分に思索して欲しい。何がどう変わってゆくのかを知ることだ。そこに図全体を読み解く鍵の一つがある。


道の選択に悩んだら、幾つか並行してトライしてもいいだろう。背伸びしても到底窺い知れない深遠な世界だが、真摯に向かうならば、いつの日か”キラリと光を発するもの”に巡り会うかも知れない。素晴らしい出会いは、多くの感動をもたらす。もし旅の終着点だと感じた時は、そこを自分の”本籍地”に決めることだ。たとえ地味であっても、有名でなくとも、本物の持つ輝きには特別なものがある。もしそれに出会えたら最高だ。色眼鏡を外して、ありのままを見るなら、上辺の権威や名声に判断が左右されることはないだろう。運命の出会いとは、そのようなものだ。そして一旦本籍地を決めたら、そこをベースにして再び幅広く勉強するといい。その時は、良い方向での補完と相乗効果が期待できるだろう。
 


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