2024-12-26 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第二図 見跡
序
依経解義、閲教知蹤
明衆器爲一金、体万物為自己
正邪不辨、真偽奚分
未入斯門、権為見跡
経に依(よ)って義を解(げ)し、教を閲(けみ)して蹤(あと)を知る
衆器の一金為(た)ることを明らめ、万物を体(たい)して自己と為(な)す
正邪辯(べん)ぜずんば、真偽奚(なん)ぞ分かたん
未だ斯(こ)の門に入らざれば、権(かり)に見(けん)跡(せき)と為す
頌
水辺林下跡偏多
芳草離披見也麼
縱是深山更深処
遼天鼻孔怎蔵他
水辺林下 跡偏(ひと)えに多し
芳(ほう)草(そう)離披(りひ)たり 見るや也(ま)たいなや
縦(たと)い是れ深山の更に深き処なるも
遼天(りょうてん)の鼻(び)孔(くう)怎(なん)ぞ他(かれ)を蔵(かく)さん
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未だ斯(こ)の門に入らざれば、権(かり)に見(けん)跡(せき)と為す
経典を頼りに筋道を理解し、教えを学ぶことで跡を知る。
“門に入り、堂に昇り、室に入る”。独学で頑張っているうちは、未だ入門には程遠い。”3年待っても良師を探せ”と昔から言うが、有名かどうかではなく、仮に無名であっても、理、行ともに優れた師を探す必要がある。そして”これだ!”という師に巡り会えたら、入門が許されるまで根気よく待つことだ。だが入門しても、その日から坐禅堂に入れるとは限らない。また、参禅が許されても、すぐに老師の部屋に入室できるわけじゃない。
かつて私が国学の師に学んでいた時のことだが、門人帖に署名したのは学び始めてから8年後だった。つまりそれまでは正式に入門していなかったことになる。後で知ったが、門人になれるのは数十人に一人という確率だった。仏教だと得度の日を以って入門ということになるが、国学の世界には出家制度がないのでそのようなことになったわけだ。
確かに、いい加減な人に”自分は○○先生の門人だ”などと言われたら、師の信用にも関わるわけだから、狭き門なのも頷ける。弟子も師を選ぶが、師もまた弟子を選ぶわけだ。