一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-74

2024-12-25 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第二図 見跡

序
依経解義、閲教知蹤
明衆器爲一金、体万物為自己
正邪不辨、真偽奚分
未入斯門、権為見跡

経に依(よ)って義を解(げ)し、教を閲(けみ)して蹤(あと)を知る
衆器の一金為(た)ることを明らめ、万物を体(たい)して自己と為(な)す
正邪辯(べん)ぜずんば、真偽奚(なん)ぞ分かたん
未だ斯(こ)の門に入らざれば、権(かり)に見(けん)跡(せき)と為す

頌
水辺林下跡偏多
芳草離披見也麼
縱是深山更深処
遼天鼻孔怎蔵他

水辺林下 跡偏(ひと)えに多し
芳(ほう)草(そう)離披(りひ)たり 見るや也(ま)たいなや
縦(たと)い是れ深山の更に深き処なるも
遼天(りょうてん)の鼻(び)孔(くう)怎(なん)ぞ他(かれ)を蔵(かく)さん
 

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今の時代、良師に巡り会うことは難しいかもしれないが、できれば「禅定(三昧)力」があって、さらに先賢の叡智をインドや中国等の文献を元にきちんと説明できるくらいの「見跡力」がある人を探すべきだ。そのためにも”思い込み(or自称)達人”を見抜く力を養う必要がある。


よく” 禅定(サマディ)に入る”というが、この領域にも正邪真偽がある。それがきちんと判断できるようになるには、どうすればいいのだろう。邪や偽の雰囲気を察知しそれらを避けるためには、良師と共に坐り、師のまとう禅定の雰囲気(神気)に数多く触れる必要がある。それ以外に無形の判別力を養成する方法はない。だが、良師に会う前の段階ではそうはいかない。そこで次善の策として、見跡つまり文献等からの学習が求められる。ヨーガにおける偏差や、天台智顗の警告する魔事に侵されないようにくれぐれも注意して頂きたい。
 


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